黄巾の乱

年代:184年(中平元年)

対戦情報:漢正規軍・義勇軍 対 黄巾党

代表武将:皇甫嵩、盧植、朱儁、劉備、曹操、孫堅、張角、張梁、張宝

結果:黄巾党が壊滅

黄巾の乱

三国志の始まりとなった黄巾の乱(こうきんのらん)。

新興宗教「太平道」の長、張角(ちょうかく)という者のもと、頭に黄巾と言われる黄色の頭巾を頭に巻いた者たちが反乱を起こしました。

この反乱が黄巾の乱と呼ばれるようになります。

霊帝

西暦168年霊帝(れいてい)が即位。

皇帝になった霊帝にはお金がありませんでした。お金を作るために試行錯誤して出た案が、官位をお金で売買することを認めることでした。

そのため、能力や実績は全く関係なく、お金を出せば官位を得ることができるようになってしまいました。

この案は成功というかなんというか、良かった面は金持ちが高額な金額で官位を買うため、どんどん国にお金がたまりました。逆に霊帝の近くにいるものに賄賂(わいろ)を贈り、官位を手に入れることが当たり前のようになってしまいました。

結果、偉くなるために役人は庶民に重税を課すようになってしまいました。

霊帝は実質実権がなく、皇后や霊帝の世話をするまわりの者が実権を握っており、宦官たちが裏で賄賂を贈っていたりお金儲けをしたりとやり放題でした。ところが庶民は重税を課せられ続け貧困は進むばかりでした。

弱っていく後漢(ごかん)を見て、異民族が進行してくるようになります。同時に天災も続き、人々は食べるものもなくなるほどに追い詰められていきます。

そんな中、張角という人が現れます。張角は役人になるために若いころには必死に勉強していたそうです。

しかしその時代お金がなければ役人にはなれなかった。

張角は南華老仙(なんかろうせん)という人物に出会い、太平妖術の書と言われる書物を受け、「これを用いて世直しをしなさい」と言われたのです。

これにより太平道という教えの道教が始まりました。

張角はこの教えによって雨風を起こす妖術を使ったり、呪術で病気を治したりし、疲弊しきった民衆の光となった。

そして太平道の信者はどんどん増えていきました。瞬く間に数十万の信者を得た張角は大賢良師と呼ばせ、自らが皇帝になることまで視野に入れていたのである。

南華老仙は張角に「悪しきことに使えば天罰が下る」と警告していました。

民衆の心をつかんだ張角は神のようにあがめられるようになります。そして天災は後漢の悪政が原因だと教え、数十万の組織を軍事化していき反乱の計画を立てていたのです。

張角は配下の馬元義(ばげんぎ)を洛陽(らくよう)に送り朝廷内に忍び込ませました。そこから宦官と密約を交わし、挙兵日に中から反乱を起こさせる準備をしていたが、唐周(とうしゅう)という者が他の宦官に漏らし、計画が知られてしまったのです。

そして馬元義は処刑され、焦った張角は予定より早く挙兵することにしました。

張角は天公将軍(てんこうしょうぐん)、弟の張宝(ちょうほう)を地公将軍(ちこうしょうぐん)、張梁(ちょうりょう)を人公将軍(じんこうしょうぐん)とし、これに賛同した信者は黄色い布を頭に巻いたのでした。

ここから黄巾党(黄巾族)と言われるようになったのです。

霊帝(れいてい)は黄巾討伐のために何皇后(かこうごう)の兄、何進(かしん)を大将軍に任命し、盧植(ろしょく)、朱儁(しゅしゅん)、皇甫嵩(こうほすう)を黄巾軍の勢力の強い方面へ向かわせる。

さらに各地で義勇軍を募集したのです。

曹操の初陣

張角軍の波才(はさい)は朱儁、皇甫嵩を一度は破るものの火計で形勢逆転され撤退するのでした。

撤退する波才の前に現れたのが曹操(そうそう)という男だった。この曹操が後の魏王(ぎおう)である。

曹操はこの時30歳で朱儁、皇甫嵩と共に戦っており、数万の黄巾族を討ち大勝利を納めた。

孫堅の快進撃

そのころ朱儁の配下であった孫堅(そんけん)が宛城(えんじょう)を奪取、南陽(なんよう)黄巾軍を壊滅していた。この孫堅は後の呉王(ごおう)、孫権(そんけん)の父である。

孫堅は各地で黄巾族を次々と撃破し、この黄巾の乱で地位も名声もあげていったのでした。

盧植先生

盧植は張角がいる冀州(きしゅう)方面に派遣されていた。盧植は後の蜀王(しょくおう)、劉備(りゅうび)や公孫瓚(こうそんさん)に学問を教えていた先生でもあった。

盧植は戦で連戦連勝で張角をも追い込んでいた。

しかし、事件が起こります。

霊帝は盧植がちゃんと戦っているか使者を送ってきたときのこと。霊帝の側近である使者は賄賂を要求してきたのです。

しかし、まじめな盧植は賄賂に応じなかった。それに怒ってしまった使者は盧植は仕事をしないと嘘の報告をするのである。それを知った霊帝は盧植を捕らえ、職を剥奪しました。

盧植の代わりに董卓(とうたく)という人物が任命されました。ところが董卓では張角軍に勝利できず、総大将に皇甫嵩(こうほすう)という人物がなります。

すると皇甫嵩の快進撃で張梁を破り、すでに病死していたと思われる張角の首を洛陽(らくよう)に送ったのです。その後、張宝を破り黄巾族は総崩れになったのでした。

黄巾の乱の終焉と漢王朝

黄巾軍は分解し、衰退して世の中は良くなっていくかに見えた。しかし政治は変わることなく民の苦しみは改善されていなかった。

朝廷内でも何進が力をつけはじめていました。何進はもともとは一般人だったが、妹の何皇后のおかげで大将軍にまでなれたのです。

霊帝には二人の息子がいました。王美人(おうびじん)の子の劉恊(りゅうきょう)そして、何皇后(かこうごう)の子の劉弁(りゅうべん)がいましたが、後継者争いが起き、王美人は毒殺されてしまいます。

何進は対立する宦官たちを次々と暗殺し、劉弁を皇位に着けることに成功しました。しかし、まだ民の暮らしが良くなることはなかった。

何進は残る宦官に命を狙われることを恐れて、宦官を皆殺しにすると計画を立てる。

宦官は何進の妹の何皇后に救いを求めました。何進は計画を進め、袁紹を呼び寄せ対策を練ります。しかし、何進は先に宦官たちに暗殺されてしまいました。

計画失敗を知った袁紹は宮中に乗り込み何皇后を捕らえる。

生き残った宦官が少帝と劉恊を連れて洛陽から脱出します。しかし、何進から密書を受け取っていた董卓に捕らわれ宦官は討たれてしまい、少帝と劉恊は洛陽に戻ります。

そして少帝を救った董卓とそれに対立する曹操、袁紹との争い、ここからまた乱世が始まるのであった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

超絶社畜サラリーマンをしながら副業を開始→2か月で月商200万に到達→退職!→同じような境遇の人にそのノウハウを無償で教えるためコミュニティを設立→敏腕パートナーを育成→FX・暗号通貨・投資をはじめ独自ロジックで資産構築→仲間と自由に生きる←イマココ