虎牢関の戦い

年代:191年(初平二年)

対戦情報:反董卓連合軍 対 董卓軍

代表武将:袁紹、曹操、劉備、関羽、張飛、董卓、呂布

結果:董卓軍が壊滅し都を焼き払い逃亡

鉄壁の砦 虎牢関

汜水関(しすいかん)の戦いで華雄(かゆう)を破った連合軍は士気を挙げ、虎牢関(ころうかん)へ向かった。

虎牢関は都洛陽(らくよう)を守る最大で鉄壁の砦である。

連合軍は汜水関に兵を残しながら兵を二分し策を練った。

連合軍が虎牢関の手前に陣を張っていると董卓(とうたく)軍が虎牢関から出て突撃してきたのである。

大将は董卓軍最強の武将にして三国志最強と呼び声高い呂布奉先(りょふほうせん)だった。

最強の男 呂布奉先

現れました。虎牢関と言ったら呂布です。

よくゲームとかでは遠くの方で兵士がありんこのようにたかっていて、呂布の攻撃で爆発が起きたかのように兵士が宙を舞っているあの状況です。

呂布は得物方天画戟(ほうてんがげき)という武器を自由自在に振り回し、次々と武将をなぎ倒していく。

そんな中、公孫瓚(こうそんさん)が呂布に追われ必死に逃げていました。

劉備、関羽、張飛 vs 呂布

公孫瓚は必死に逃げるが、呂布は一日に千里を走るといわれる赤兎馬(せきとば)に乗っている。

危うく追いつかれそうになっているところに劉備(りゅうび)の義弟、張飛(ちょうひ)が現れた。

この張飛も武力、武芸では右に出る者はいないというほどの豪傑(ごうけつ)であった。

解釈によっては三国志最強のとも言われていたこの二人がここで刃を交えることになるのである。

張飛は蛇矛(だぼう)を振り回し呂布と一線を交えた。

呂布は初めは様子を見て手加減していたが、張飛のあまりの強さに驚き本気を出したのでした。

お互いに一歩も引かず勝負がつかないまま二人は疲労がたまってきた。

するとそこへ劉備(りゅうび)と関羽(かんう)が応援に来たのである。さすがの呂布も三対一では分が悪く撤退した。

董卓 都洛陽を焼く

呂布が引いたことにより、董卓軍は一気に撤退することになる。

董卓は形勢が不利になると連合軍が洛陽に陣取ることを恐れ洛陽に火をつけた。

「民が死のうが生きようがわしにはどうでもいいことだ」と言い400年栄えた都を焼け野原にし、長安(ちょうあん)へ遷都を行った。

2 件のコメント

  • 虎牢関といったら呂布!かっこいいですよね!
    裏切りの人生を歩んだ呂布ですが、いい君主に仕えてたらまた違う人生だったでしょうね。

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