呂布が董卓を殺害

董卓の暴政

少帝を囲い込んだ董卓(とうたく)は兵力を増強し、呂布(りょふ)将軍まで手に入れ、権力をわがものとしました。

漢の政府の権力を握った董卓は、乱暴な政治で人々を貧困に陥れます。

お金持ちから金品を奪って我が物としたり、罪もない人を処刑したりなど、やりたい放題の政治を行います。

さらには董卓は皇帝を退位させてしまいます。

当時の漢の皇帝は幼い少年劉弁(りゅうべん)でしたが、董卓はこの何ら罪もない少年皇帝を退位させ、異母弟、劉協(りゅうきょう)を即位させます。

臣下の身で皇帝を退位させるなんてあまりに大それたことでした。

しかも後に、前皇帝の少年を殺してしまいます。

汜水関の戦い 虎牢関の戦い

董卓の暴政に対し、各地の有力者が立ち上がります。

曹操(そうそう)を中心に袁紹(えんしょう)、袁術(えんじゅつ)、孫堅(そんけん)、公孫瓚(こうそんさん)などが賛同し「反董卓連合軍」を結成したのです。

そして191年汜水関の戦い牢関虎の戦いが起きます。

結果として追い詰められた董卓軍は都、洛陽(らくよう)を焼き払い長安(ちょうあん)へ移った。

董卓暗殺計画

反董卓連合軍にも耐えきった董卓の権力が、ついに終わる日がきます。

それは呂布の裏切りによって、董卓は暗殺されてしまうのです。

朝廷の有力者であった王允(おういん)が、董卓暗殺計画を立てたのです。

この王允の誘いに乗り、呂布は裏切りを決意したのです。

呂布が董卓を暗殺しようと思ったのはどんな理由があったのでしょう? いくつかの理由が挙げられています。

あるとき、腹を立てた董卓に、刃物を投げつけられたいう説。

呂布が、董卓の身の回りの世話をする女性と男女の仲になってしまい、バレてしまうのを恐れたという説。

ある意味、呂布が董卓の暴走に終止符を打ったともいえます。

どちらにせよ、呂布が味方についた董卓暗殺計画は見事に成功。

董卓は「義理の息子」に裏切られ、あえなく最後を迎えたのです。

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